スペシャルニーズの学校

  エッセイ   スペシャルニーズの学校
                                    津守 眞 (当時)学校法人 愛育学園 理事長 (現在)学校法人 愛育学園 顧問 

私は愛育養護学校のことをスペシャルニーズの子どもの学校と呼んでいます。丁度十年前に英国に行ったとき、障害児の学校で仕事をしていると自己紹介をしたところ、英国ではもはや障害児という語は使わないとたしなめられてショックをうけました。英国ではスペシャルニーズの学校と呼ぶと言われました。障害児という特別な種類の子どもがいるわけではない。歩けなかったり、ことばを話せなかったりするために、身体的にも精神的にも特別な配慮をもって保育し援助する必要があるのにほかならないということです。

私は戦後間もなくから五十年間、この子どもたちとかかわってきましたが、つきあえばつきあう程、特別な種類の子どもとは思えないのです。この子どもたちは、特に繊細な感受性をもっているのでこまやかな配慮をもって接する必要があることは確かです。ある子どもは、自分の物に他の子がちょっと手をふれただけでわめき叫びます。そんなとき、たとえ一時は自分の手をはなれても必ずまたもどってくることが分かれば子どもは落ち着きます。善い悪いをきめてかかったら子どもの揺れ動く心に触れることはできません。ある子どもは一見何もしないように見えます。何もしないでも安心してそこにいていいと分かると、だれでもの内にひそむ創造的な心が動き始めます。そのほんのわずかな身体の動きを見落とさないでそっと答えることが必要です。大人が自らの感受性を磨きながら、生活のひとこまひとこまを、子どもと一緒に歩むのが「教育」のときでしょう。朝、大人がそのことに気付いて一日を丁寧につきあうと、夕方には私共に信頼を寄せ、明るく笑うようになるのが子どもです。

いわゆる障害以外にスペシャルニーズをもつ子どもは沢山います。外国では10~20%と言われていますが、日本ではもっと多いのではないかと思われます。どの子どもたちも、成長のある時期にスペシャルニーズをもち、特に繊細に配慮して保育をすることが必要です。幼児期にはだれでもそうだと言ってもよいでしょう。この時期に丁寧に育てなかったら、後の年齢にまでその問題は持ち越されます。

愛育養護学校には、きょうだいたちが沢山遊びに来ます。かなり長い期間きつづける場合もあります。土曜日に来るのをたのしみにしているきょうだいも多勢います。子どもたちが生きにくいこの時代に、私共は、子どもたちのスペシャルニーズに答えることを使命とする学校でありたいと願っています。