卒業 - 愛育を終えて

エッセイ

卒業 - 愛育を終えて   (2001年7月愛育養護学校だより掲載)   卒業生母    元吉 かすみ

この春、息子の淳は先生や多くの実習生に暖かく見守られて愛育を卒業しました。
家庭指導グループ・幼稚部を含む9年間の愛育での歳月は、怖くて歩けないでいた子どもが次第にうつむいてトボトボ歩くようになり、今ではまっすぐに顔をあげて笑顔で歩くようになっていく成長の歴史です。
愛育に入った淳が最初に遊び始めた場所は、ひとけのない裏庭の一隅にあった泥の水たまりでした。繊細で傷つきやすい息子には、すでに自分が兄とは違っていること、そしてその違い故に親が困惑し、悲しんでいることがわかっていたのではないかと思われます。誰よりも淳自身が一番傷ついていたのです。それはまだ混沌とした幼児期に自らの存在を危うくすることだったと思います。
愛育では、子どもが活動を始めたそこから保育が始まります。泥の水たまりから始まった淳の遊びは、水や砂遊びとなって何年も続いていきました。水・土・風・光などの自然と全身で触れ合って遊び、五感をフル活用させてさまざまなものを感じ取っていくうちに、ゆっくりと確実に自己を目覚めさせていったのだと思われます。
そして遊んでいる淳のそばには必ず、彼を理解しようとする先生や実習生が真剣に寄り添っていました。
愛育時代、毎日飽きることなく続いた水や砂遊びの中で、「投げる」という息子のテーマは、いつしか形となって現れてきました。パラパラと砂を落としていた行為は、シャボン玉・風船を投げることへ、風船はボールにとって変わり、多種多様な球技-たとえば、ボウリング、キャッチボールやゴルフなどへ、そして周りの人を巻き込んでの野球を楽しむようになっていきました。水遊びは6年間続き、ある日突然終わりました。少しずつ関心を示していた文字や言葉への興味の方が強くなっていったからでした。
淳は、愛育の中で、今日これからやろうとするどんな小さなことでも、それが危険でないかぎり認められました。自分の意志が尊重される日々を積み重ねることによって淳は安心して自分に自信を持つことができたのです。自分はこのままでよいのだという自らの存在への自信は、自分が人生の主人公となって生きる力を生み出します。人から大事にされる経験は、自分もまた他者を大切にする心を育てます。人を尊敬する心は、他者を恐れるよりも、好きになる人間を創っていくようです。
淳と人との関係も初めの頃は、わずかに細い糸でつながっているようなものでしたが、成長するに従って人との出会いを楽しみにし、そして人によっては深く付き合うようになっていきました。入りたての頃、できるだけ人から離れた場所で過ごしていた子どもは、卒業の頃になると大勢の子ども達の輪の中で遊ぶようになっていったのです。
愛育での年月を経て、「淳ができるようになったことは何か?」と問われたら私は答えにつまります。知識や身辺の自立という面から見る限り、息子ができることは決して多くありません。彼のこれからの成長を待ったとしてもその能力的な面では普通の人に比べるとわずかにしかすぎないでしょう。けれども、淳は今自分で考えて行動することができるようになってきました。少なくとも淳は新たな生活に向かって不安よりも期待に胸をふくらませて卒業することができたのです。
10年前、淳が障害児と告げられた時の悲しみと動揺を思い起こすとき、希望をもって進んでいこうとする子どもの姿など全く想像することさえできませんでした。その当時の私は、息子が障害を持っているために能力も劣り、それ故に意志もなく、一生人に従っていくしか生きることができないのだと思い込んでいました。しかし、人の能力と心の成長は全く別なものです。淳と共に過ごすなかで私達はたくさんのメッセージを受け取りました。
人はそのもっているものではなく人であるが故に尊いのだということ。ひとりひとりの違いを尊重すること。そして日々の生活の中に喜びを見出すこと。これらは一見当たり前のことのように見えますが、現実の社会の中では力の原理で無視されがちなことなのです。淳という子どもを持ったがために起こってきた出来事の一つ一つの本質を辿っていくと子どもの側の問題というよりは、未熟な親や、偏見や固定観念から脱皮できない大人の側にこそ責任があるのだということを理解していく愛育での年月でした。
これから、淳が乗り越えなければならない山はまだまだあるでしょう。新しい世紀が違いを認め合い、淳のような人も、ごく普通に社会で生きていける日がくることを夢みて、希望をもって歩く子どもを見守っていこうと思います。