この学校と実習生 (2010年7月愛育養護学校だより掲載)
西原彰宏 愛育養護学校研究員
国立音楽大学幼児教育専攻教員
愛育養護学校元教諭
この学校では毎年大勢の実習生が保育に加わります。私は大学の幼児教育科で教えながら、時々養護学校と青年部の保育に参加しています。また、現在はこの学校の研究員でもあるのでいわば学校関係者です。このように、学生を送り出す側と受け入れる側の両方の側に立つようになったせいか、以前は見えなかったことに気づくようになりました。そこで、実習の意味について、実習生にとっての意味と、この学校にとっての意味の両方から考えてみたいと思います。
この学校が実習生にとって持つ意味
大学の教員の立場からすると、この学校のありがたさは、第一に、子どもとかかわることを許されるということです。学生は自分の感覚によって、今の目の前の子どもに最もよかれと思う対応を精一杯考えます。そうして、学生達は子どもと出会い、身体を使って子どもに応え、身体を使って感じることを学ぶとともに、身体で相手を感受する力が、子どもによって目覚めさせられ、育てられるのを感じるのだろうと思います。
第二に、放課後にミーティングがあり、そこで職員と実習生が対等に、日頃子どもについて考えていることやその日にあったことを話すことです。そのことによって学生は、自分とは異なる多様な感じ方や見方があることを学びます。同時に、自分の感じ方を大事にすること、そこに責任があるということの意味も学んでいきます。また、子どもと自分のかかわりを。他の職員や実習生がいつも見てくれていることで子どもの生活が生き生きと動き出すことがわかってきます。こうして、保育するもの同志が相互視認状況の中でお互いの状況を理解しながら保育をしていくことが保育なのだということを学んでいきます。
学生たちは、この学校に一年間通ううちに、子どもの話をするときのたたずまいが変わってきます。感覚と注意力の全部を使って子どもと自分の内部で起きていうることを感じるようになり、また子どもの行為の意味を子どもの側から考える目を持つようになっていきます。おそらく、子どもの側に立つときもこの柔らかなたたずまいは保たれるでしょう。愛育養護学校は、学生を送り出す教員にとって、育てるものとしての一番大切な基盤を学生の中に育ててくれる場所です。
この学校にとっての実習生の意味
一方、養護学校の関係者の目で、実習生のこの学校にとっての意味を考えると、実習生が一年をかけて成長するからこそ果たすことができる大切な働きが見えてきます。
箇条書きにすると、
(1 )一週間に一日の出会いにかける実習生の子どもに対する打ち込み方は、毎日関わっている職員とは違っていて、独自の集中力があります。また実習生は、子どもと心が通うこと、子どもから信頼されることを、新鮮な喜びとして感じてくれます。実習生が一人の子どもに本気で打ち込んで関わってくれることで、子どもは自分に自信をもち、また人を好きになります。さらに、好きになった人との関わりを通じて、子どもの興味が開かれます。人生の始まりに時期、自分と共に過ごすことを楽しんでくれる人がいなければ、人は人間らしく育つことが難しいでしょう。
(2)ミーティングで、実習生の感想や問いから、当たり前と思っていたことがらを問い直す必要に、職員はしばしば気づかされます。
(3)しかし、成長したこの学校の卒業生たちと、卒業生グループでつきあい、この学校に実習生として通った学生たちとの卒業後の付き合いを通じて、私は実習生のこの学校に対する最も大きな貢献は次の点にあるのではないかと考えるようになりました。それは、関わった子どものことを、たとえ遠く離れていても。長い間覚えていてくれることです。自分の成長にとって欠くことのできない体験をさせてくれた人に対する親しみの気持ちと、今○○ちゃんはどう成長しているのかという関心を、付き合った子どもに対して持ち続けてくれることです。
この学校では、ある子どもとある時期を密に過ごした実習生だった人たちが、卒業式に大勢来てくれます。私はこの数年、その光景を壮観だと思って見ています。自分に本気になって関わってくれる人たちに、子ども時代にこのように出会った人が、世の中にどれほどいるだろうかと思います。(あなたと出会い、私は得難い経験をした。あなたにあえてよかった。・・・・)卒業後の茶話会の場には、そういう思いが子どもにも実習生だった人たちにもあるように思います。こういう人たちに出会うことが、子どもの心に、人生で出会う大小の苦難の時に、絶望しないで立っていられる力を養うのではないかと思います。
先日、一年間愛育養護学校に実習生として通った後、幼稚園の先生になっ手いる人が、幼稚園が休みの日に学校を再び訪れ、保育に一日参加しました。私が勤務する音楽大学の卒業生で、加藤ひかりさんと言います。彼女は大学3年生の冬にこの学校に来て、当時二年生だったしんのすけ君(加盟ですが、彼は学校ではこの名前を使うことに決めています。)に会いました。しかし、はじめのうちはほとんど振り向いてもらえませんでした。しんのすけ君は、二階の図書室でパソコンや雑誌を見ながら高橋先生と会話して過ごすことが多かった時期でした。また、『千と千尋の神隠し』の映画に興味があり、学校では困った時、苦手なことに取り組むときには、自分を「千」と名乗って、その困難を乗り越えようと頑張っていました。映画のテーマだけでなく、その音楽にも興味があるようでした。加藤さんは『千と千尋の神隠し』の中で使われている『いのちの名前』という曲の楽譜を探し、徹底して練習し、その楽譜を持って学校に来てホールで弾きはじめました。担任が、加藤さんが楽譜を持ってきたことをしんのすけ君に告げると、二階からすぐにホールに降りていき、それまでほとんどかかわることがなかった加藤さんに「今、どこを弾いた?」と楽譜を見ながら尋ね、そのうちに膝の上に座って加藤さんの足に自分の足を重ね、一緒にペダルの使い方も覚えながら『いのちの名前』を加藤さんに弾かせたのでした。
こうして、しんのすけ君と加藤さんのかかわりは始まりました。しんのすけ君の興味は、次第に同じ作曲家の他の曲に広がり、ある日、この久石譲という作曲家のCDに入っていた『summer』という曲に合わせて、同じクラスの二人の女の子と一緒にダンスをしました。音楽に対するこの三人の興味が一致し、一緒に音楽の活動ができたのはこの時が初めてでした。彼らが三年生のときです。加藤さんが開いてくれたピアノへの興味は、彼の気持ちが周囲の人々に対して開かれていくひとつのきっかけになりました。
その後、しんのすけ君は、日比谷にある松尾楽器という輸入ピアノの専門店に高橋先生と足繁く通いました。彼が弾く音の美しさを聴きとり、楽器の丁寧な扱い方を見た店の人が、毎回高価な楽器を弾くことを快く許してくれたのだそうです。いつしかピアノに触る前に自分から手を洗うようになったそうです。自分が入れる社会的な場を拡げ、その場にふさわしい振る舞い方を身につけようとする社会性の獲得です。
加藤さんが再び訪れた日、しんのすけ君は加藤さんに自分から近づいてこようとはしなかったそうです。
しかし、その翌日、私は学校に行き、しんのすけ君が学校でピアノを弾く姿を久しぶりに見ました。午後、かなりの喧騒状態にあるホールに降りてきて、周囲の音がまったく気にならないかのように、右手とペダルを使い、ピアノを弾きはじめました。連続した音と音の重なりを注意深く聴いているようでした。音の連なりがメロディーとして聞こえ始めた瞬間、ホールにいた高橋先生と目が合いました。彼が弾いた曲は『いのちの名前』でも『summer』でもなく、『千と千尋の神隠し』と同じ映画監督、同じ作曲者の『もののけ姫』の中の主題曲でした。
彼は加藤さんに「ボクは、もう昔のボクじゃない。もう何でも一人でやれるようになったんだ。でも、あなたのことはよく憶えている。あなたに話しかけられると、恥ずかしくもあるが懐かしくもある。」そんなことを言いたかったのではないかと私は想像します。
このような出会いとかかわりは珍しいことではなく、どの実習生と子どもとの間でも起きていることです。今日も学校のいたるところで子どもと実習生が出会い、新しい一日を作っています。私どもは、職員も親も関係者も一緒になって、この人たち一人ひとりが本来持っている力を生かしたいものです。その気持ちを持つことは、実習生の人生だけでなく、学校と子どもの人生を豊かにすることになると思います。